服装は人の社会的戦略だと思う

たいそうなタイトルで書き始めてますが、すみません。
今日、帰りの電車の中で酔っぱらったのか疲れ果てたのか、床に文字通り「転がって」寝ている女性がいらっしゃいました。誰か座っている方が譲ってあげたらいいのにと思ったのですが、だれも声をかけません。というのもその女性は大柄の方でしかもタイトな短いスカートをお召しと、ちょっと派手でムチムチな出で立ちだったんです。露骨にじーっと凝視するオヤジがいたり、とても軽蔑した表情の女性がいたり、周りの反応も興味深いものがありましたが、多くは私と同じように「見てはいけないものを見てしまった」ように無視していたのです。
そんなことがあって、ふと私が少し前に読んだ「ダサいオヤジは「暴力的存在」である」についてAmazonの読者レビューを見てみたのですが、非常に低い評価。ついでにちょっと似通った題材の「人は見た目が9割」もチェックしてみると、こちらも非常に評価が低い。うーむ。
確かに人は中身が大切。でも、だからこそ見てくれの面で損をしない様にしましょう、というのがこれらの本の主題だと思うのです。見た目で相手を本当の意味でだませるとは主張していない。ですので、本の内容のある意味軽薄さ(失礼!)に軽〜くうなずきつつ読むのが正解かと。
私も昔、本当に外見に無頓着な青年でした。頭はぼさぼさ、洗髪は3ヶ月位しない、パンツは母親から「あんた、いい加減違うのはきなさい」と指摘されるまでドロドロのままはく、といった調子でした。よくもまあ、引きこもりにならずに済んだなあと今でも思います。
でも、社会人になってある友人と一緒に洋服屋さんに買い物に行ったときに、「洋服は面白い」と気がついたのですね。で、さらに私にとどめを刺したのが、今は無き「男子専科」という男性向けファッション誌に書かれていた、お名前は忘れたのですが著名な方のコラムでした。彼曰く「服装は相手に対して自分をどう印象づけるかの戦略である」(正確な文面は忘れました)と。この言葉は私の心にズシンと響きました。というのも、服装をきちんとし出したら、自分の周りのいろいろなことが良い方向に回るようになってきたからです。
まず、自分の気持ちが変わりました。それまでは外見上のコンプレックスもあって、かなり外出したがらない方だったのが、(笑えますが)どこにでも一人で出かけるようになりました。友達や声をかけてくれる仲間も増えました。要は、「ちょっとはまともかもしれないが偏屈なやつ」から「個性のあるまじめなやつ」に皆の印象が変化したわけです。そのおかげで、少々大げさかもしれませんが、人生が変わったのです。
そういう意味で、私は今でも一緒に服屋に連れて行ってくれた友人に感謝しています。
無論あくまで見てくれは中身を補完するもの。日々勉強です、ハイ。