ワルキューレを観た

トム・クルーズワルキューレ」を観てきました。
第2次世界大戦の末期のナチス・ドイツで、ヒトラーを暗殺してドイツを崩壊から救おうとした軍人達の話です。ネットなどの書き込みをみても、この映画で初めて暗殺未遂事件があったことを知った方が多いようで、映画を観た後wikipediaなどで史実を調べて、ようやく「大変なことだったのだな」と分かったという話もあります。
確かに映画はかなり史実に忠実に描かれていますが、逆にそのために非常に淡々としてしまい、物語の背景にあるドイツの社会だとか、帝国ドイツ軍人がナチスで置かれていた状況などが全く説明されていない上、敗戦が濃厚になって徐々に戦火がドイツ本国に迫ってくる切迫感も不足しているので、彼らが苦悩の中から決断して、行動を起こすことも伝わりにくい内容になっています。
残念ですね。
主人公であるシュタウフェンベルク大佐自身の人生を第二次世界大戦初期からヒトラーの排除を考えるプロセスまで追うことで、当時のドイツの社会とか歴史をもう少し説明した方が良かったのではないかと思います。また、ヒトラーの側近連中も「イエスマンカイテルとか親衛隊司令官ヒムラ−など、全く説明不足なので、一緒に観た女房も「あの人どなた?」状態だったようです。
私は実は大学の専攻が近現代ドイツ史で、卒業論文としてこのヒトラー暗殺未遂事件を書いたので、非常に懐かしく、感慨深く映画を観ました。
ナチス・ドイツは決して一枚岩的な状態ではなく、ナチスがラディカルな新興勢力として「選挙によって」政権を握ったので、当初から軍隊を含めたドイツの貴族や上流階層とは微妙な関係にあったのです。そのためヒトラーは自分に忠実な第2の軍隊として親衛隊(SS)を組織したのですね。この映画に出てくる軍人達もほとんど名前に貴族を表す「フォン」というミドルネームがついていて、この事件の構造が、成り上がりの連中(ナチ)対旧貴族階級というものであることを示しています。
私がこの暗殺事件に興味を持ったのは、なぜ国が崩壊しつつある状況下においてなお、ドイツ国民は、あるいは軍人達はヒトラーに従ったのか、特に国防軍はドイツが自らをナチから浄化できるとすれば、暴力を持って実力行使できる自分たちにしかほとんど可能性がないことを知っていたにもかかわらず、それをしなかったのか、知りたかったからです。
大多数の国民は、ナチスに従うしかない状況にありました。また軍人連中は、軍人にしか理解できない「国家に対する忠誠」という概念にとりつかれていたり、保身に走っていたり、「ヒトラーが死んだら」抵抗勢力に荷担するという日和見的な考えから、何らアクションがおきなかった様です。そうした中で、クーデターという行為を起こすことは、よほどの勇気がないと、できなかったのではないかと思われます。
暗殺行為そのものは、映画にも描かれていましたが、複数の「偶然」の力によって、ほとんど成功しかかったにも関わらず失敗してしまいます。爆弾を仕掛けた会議室が、普段の掩蔽壕から地上の部屋に移されて、爆弾の威力がそがれたこと、もともと2つセットしようとした爆弾が邪魔が入って1つしかセットできなかったこと。爆弾の入ったカバンが邪魔だったので、テーブルの反対側に押し込まれてしまった事などです。でも、たとえヒトラーの暗殺に成功したとしても、大多数のドイツ国民がヒトラーを支持していたこの状況下で、クーデター側が巧くナチスを排除して、連合軍側と休戦できたかどうかはわかりません。
結果的には暗殺の失敗によって、ヒトラーへの抵抗勢力は一掃され、直接的に事件に関与していない「反体制派」の人々が多数殺されることになります。その中には、存命していたら戦後のドイツの復興に大きく貢献しただろうと思われる人も含まれており、非常に残念な結果になりました。この事件以降、ナチス体制は逆に強化され、ドイツ国内が破壊され、ベルリンが陥落するまで希望のない戦争を継続することになるのです。
悲劇ですね。
ドイツでもこの映画について様々な議論があり、一時は映画化できるかどうか、危ぶまれたそうです。でも、第二次世界大戦後60年以上たって、ようやく当時のことを映画にできるようになったのですね。それほど、ナチはドイツに深い傷を残したということだと思います。